
明里

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「四国八十八カ所巡り」を一生のうちに一度は経験してみたいと思ったことがある方もいるのではないだろうか。
「お遍路」とも呼ばれ、空海ゆかりの八十八カ所の寺院を巡礼することだ。
実は私も、それが死ぬまでに成し遂げたいことの一つだったりする。しかし、関東に住んでいる身としては、四国に足を踏み入れる機会も少ない。自分とは遠い話と思っていた矢先、千葉県のあるお寺で発見してしまったのだ…。
四国八十八カ所巡りはもしかしたら身近にあるかもしれないというお話。
神宮寺で見つけた大師堂の「新四国」の文字

嵐ファンの聖地・船橋二宮神社
以前、千葉県船橋市にある嵐ファンの聖地として知られている「二宮神社」を参拝した。(過去記事はこちら)
その際に、二宮神社の隣にあった「神宮寺」にも立ち寄ってみることにした。

屋根がついたお堂と石碑
立派な門に惹かれ、中に入ると、屋根がついているお堂と比較的新しそうな石像を発見。像の土台は古い石のままであるため、像だけ後から取り付けたもののようだ。

隠れていて良く見えないが、大師の文字
「浄財」と書かれた賽銭箱もあり、大事にされているものだと感じる。
そして、目線下にある石碑の文字をよく見てみると、「新四国 第十三番 大師堂」の文字が。
「千葉県で四国?!しかも大師と書いてあるではないか…これはもしや?」

土台の側面
感覚的に「四国八十八箇所巡り」との関係性を疑ってみたものの、これ以外の証拠がなかったのでひとまず寺内を散策することにした。人物像の土台の周囲の文字を探してみたが、確固とした証拠は見つからない。昭和四十三年建立されたものだということはわかった。

牡丹が見ごろを迎えいていた
季節的に色とりどりの牡丹やツツジが綺麗だった。
参道の石碑と「四国八十八箇所巡り」

道端にある様々な石碑
そして、一通り楽しみ、神宮寺を後にしようとしたとき、またもや「四国」の文字を見かけた。
門を出て、参道に石碑が並んでいるのだが、風化している石碑にうっすらと見える「四国八十八ヶ所」という文字。

四国八十八ヶ所の文字
かなり古い石碑なのか、白い斑点によって文字の読み取りがだいぶ難しくなっているが、四国の文字が見える。また、土台には右から「念佛講中」と書いてある。講中は宗教行事を行う団体のようなもので、ここでは「四国八十八箇所巡り」を巡礼していた団体ということになる。
大師堂と石碑から、四国八十八箇所巡りと神宮寺の関係性を調べることにした。
千葉県版・四国八十八箇所巡りである「吉橋大師八十八箇所巡り」
調べてみると、やはり四国八十八箇所巡りと関係があるそうだ。
1807年に、吉橋大師八十八カ所巡りは、八千代市の吉橋大師霊場を中心に、弘法大師下総四郡八十八箇所霊場として開設されたそう。四郡とは、現在の八千代・習志野・白井・船橋・市川・松戸・柏の7つの市に該当。私が訪れた「神宮寺」は、札番でいうと十三番目にあたる寺院。
昭和初期は講での参拝も活発であったが、1995年に活動が休止された。
現在は、順番通りに参拝するのは難しく、また廃寺になっている場所も多いため、参拝する人は少ないらしい。吉橋大師八十八箇所巡りの中心となった、八千代市の吉橋にある札番1番の吉祥院跡も廃寺となっているそうだ。
人々の記憶からは失われつつあるのか、悲しい事実だ。
四国八十八箇所巡りは全国各地に
四国八十八箇所巡りは、真言宗の開祖、弘法大師空海のゆかりの寺院を指す。江戸時代からは一般庶民の間でも広まり、全国各地に同じような霊場がつくられた。
江戸につくられた「御府内八十八箇所巡り」は、都内を中心にに参拝することができる。四国八十八箇所巡りを模した霊場は、九州や奈良、神奈川など調べてみると全国各地に点在しているようで、とても興味深い。
四国へ行くことが難しい方も、まずは地域の巡礼を調べてみると、意外と近くに存在するかもしれない。私もいつか制覇してみたい…。
<TEXT/明里>