イギリス軍に納入された、アメリカ軍の腕時計「A-11」。その謎を追った

投稿日:3月 3, 2020 更新日:

A-11_アイキャッチ
 第二次世界大戦時、腕時計の歴史の中でも非常に珍しい出来事が起こりました。

 それは、自国の軍用時計を“他の国の軍用時計”として納入する、ということ。

 当時の軍用時計は自国内や植民地で生産することが基本でした。腕時計によらず、軍用に納入されるものは自国の資産であるため、他国に提供することは情報漏洩を意味することになります。そのため各国の軍用時計は特別な特許を取得し、特別に契約されたコントラクターの元でしか製造・供給できませんでした。しかしある国の軍用時計は、自国とも植民地とも関係ないの国の軍用時計として納入されていたのです。

 それがこちら、英軍に納入された“米軍”の腕時計、タイプA-11です。

イギリス軍に供給された、アメリカ軍の腕時計

A-11_正面

米国軍のA-11腕時計は、なんと英国軍にも供給されていた

1940's イギリス空軍・リファレンスナンバー6B/234、通称『Mk.8』(Waltham製)

 この時計は1940年代の米軍の軍用時計『A-11』そのものです。しかし納入先が異なります。このA-11は米軍に納入されたのではなく、英軍に納入されたのです。

 A-11は、第二次世界大戦の海戦から間も無く開発された米陸軍・航空部隊共通の腕時計でした。航空部隊や戦車部隊が時刻を合わせて任務を遂行するために、「ハック」と呼ばれる秒針停止機能が備え付けられているのが特徴です。また視認性が高まるように、黒い文字盤に白文字でミニッツトラックと数字が印字されています(最初期の個体は白文字盤で黒文字)。

 では、どうして米軍の時計が英軍に納入されるに至ったのか、その経緯を辿ってみましょう。

Mk.8がイギリス軍に納入されたワケ

A-11_説明書

WW2当時のMk.8に関する納入書(参考:hq_sandman_ute)

 第二次世界大戦の戦時中、英軍には様々な時計のモデルが存在していました。当時おもに使用されていた時計は、航空部隊むけのMk.7A、宇宙飛行士向けのMk.11、クロノグラフ機構を備えたType.H.S.9、一般兵用のG.S型の4種類です。

 つまり、もともとイギリス空軍航空部隊の標準装備として採用されていた時計はMk.8ではなく、Mk.7Aでした。

 Mk.7Aの代表的なコントラクターはOMEGA、LONGINES、LECOULTRE、MOVADOなど。現代にも名をはせる錚々たるメンツですね。ちなみに、これらのブランドはMk.7の技術書に従って時計を製造していましたが、厳格な基準が設けられていなかったのか、ブランドによってデザインに個性があります。ロンジンがアメリカ向けのウィームスというモデルを供給していた記録も残っています。

 ところが戦争も終盤にさしかかると、恐らく資金繰りや材料の問題から、Mk.7Aを新たに製造して供給することが難しくなってきました。ここで採用されたのが米軍のA-11、もといMk.8です。(ただしこれはあくまで仮説で、開戦当時からMk.8は存在していたという説もあります……)

 この「Mk.8」というモデル名は、米軍のA-11、それもウォルサム社製のA-11を名指しで与えられたものです。当時、A-11を製造するコントラクターはブローバ・エルジン・ウォルサムの三社が存在していましたが、ウォルサムのA-11は三社の中でも最大の供給量を持っていたため、倉庫の中に過剰在庫が多く残っていたのでしょう。そこでアメリカ軍が、イギリス軍の腕時計不足を見計らってウォルサム社のA-11を供給することにしたのではないかと考えられます。

 そのため当然ですが、Mk.8は殆どがウォルサム製です。ただし、まれにブローバ・エルジン製のA-11が供給されていた記録も残っています。非常にレアケースですが、現在も海外のネットオークションなどで個体が出回っています。

Mk.8を徹底解剖する

A-11_横

36mmという小ぶりなケースに似合わず、大きめのリューズが印象的

 さて、もう今回の個体をじっくり見てみましょう。

 状態のよい文字盤、針です。軍用に納入されたウォルサムのA-11のベゼルは、英国・米国軍用によらず殆どがこの形です。ブローバ製のA-11などではコインベゼルの個体も見られます。手袋を装着した状態でも操作できるよう、大きめに設計されたリューズが印象的です。

A-11_後ろ

「6B/234」という刻印は英軍Mk.8の証である

 裏蓋には米軍のコントラクトでなく、英軍のコントラクトが記載されています。6B/234表記。紛れも無い英国軍のMk.8です。恐らく、コントラクトナンバーの入っていないデッドストックに後付けで刻印を入れたのでしょう。英軍用に新規に作った可能性もありますが、当時の背景からも、デッドストックと考えるのが自然なはずです。刻印のタイプは全部で3種類ほどあり、これもそのうちの1つです。

 この個体のような手書きブロードアロー(英国軍のトレードマークであるアロー型<↑>の刻印)はMk.8に多い仕様です。「6B/234」の下にある、Aから始まる番号がシリアルになります。ただし、Mk.7A、Mk.8、Mk.11など、当時のMkシリーズで共通のシリアルと推測されるため、このシリアルからMk.8の納入本数を推定することは困難です。WW2末期に納入されたこともあり、その総数はかなり少ないはずですが……。

 色々と奥の深いMk.8軍用時計。とはいえ英軍は、80年代にSEIKOからGENというクオーツクロノグラフを官給していたこともあり、そもそも「自国の領土でモノを作る」というこだわりを持ち合わせていないようです。しかし各国が威信をかけて軍投資を行っていた1940年代の当時に、このようなゲテモノ時計が存在していたことは、やはり興味深いエピソードではないでしょうか。

<TEXT/お雑煮>

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