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ー前回はこちらー
2020年9月30日、北海道に降り立って4日目になる。「HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」を使った北海道周遊旅行もいよいよ後半だ。
稚内で釣れたフグ
この切符はJR北海道の在来線普通・特急列車が六日間乗り放題になる優れもの。今日はJR最北端の駅・稚内から宗谷本線を南へ下り旭川へ。その後、石北本線で網走方面へ向かう。ここ稚内への鉄路は宗谷本線しかないため、移動時間の大半を行き道と同じ行程で潰す形になる。かつては稚内駅からオホーツク海方面へ抜ける天北線という路線も走っていたが、僕の生まれるはるか昔の話だ。
ところで、今回の旅行ではリュックにしまえる折りたたみの釣竿を持ってきている。北海道の行く先々でどんな魚が釣れるのか気になったからだ。せっかく稚内へ来たのだ。日の出とともにホテルを抜け出し、港で竿を垂らしてみた。
釣れたのは小さなサバが2匹と、なんとトラフグ。トラフグの北限は秋田県といわれるが、はるばる北海道を縦断してここまでやってきたようだ。釣り上げるとお怒りのようで、大きくお腹を膨らました。フグゥ……。
釣りを満喫し、ホテルに戻り二度寝する。午前10時にチェックアウト。本日乗る最初の電車は13:01発の特急サロベツ4号だ。乗車まではまだかなり時間があるので、港の裏、稚内公園の丘に高くそびえる、開基百年記念塔に向かって歩くことにする。
樺太と本土の交易拠点・稚内

旧・豊原市(ユジノサハリンスク)の港周辺
さて、ここで稚内の歴史を簡単に振り返ってみる。江戸時代、北方警備の要所として栄えた稚内は明治時代に稚内市として開基。日露戦争で樺太が日本の領土となってからは、本土とつなぐ樺太航路が開設。強風と高波を防ぐ防波堤ドームが建設されるとともに桟橋へ線路が延び、旅客・貨物を結ぶ拠点へと成長した。当時の稚内桟橋駅は、構内食堂や特別室を備えた非常に豪華なつくりだったそうだ。
一方の樺太では、明治後半の1906年に豊原(とよはら:現在のユジノサハリンスク)と大泊(おおどまり:現在のコルサコフ)を結ぶ軽便鉄道が開通。その後、4路線に及ぶ広大な鉄道網が敷設され、軍需品や物資、旅客輸送が活発になった。その後、第二次世界大戦が勃発。ポツダム宣言受諾後のソ連軍による侵攻作戦で樺太は実効支配され、現在に至っている。
遠くにサハリンを眺めて

遠く水平線の向こうにサハリンを眺める
記念塔にむけて丘を登っていくと、宗谷海峡を一望できる開けた芝生に出る。今日は雲は多いが快晴。目を細めて遠くを見ると、水平線のむこうにはっきりと、ロシア連房・サハリン州の稜線を眺むことができた。サハリンと稚内の距離はわずか43km。日本で隣国を眺めることのできる場所は、ここ稚内からのロシアと、与那国島からの台湾、対馬からの韓国などと非常に限られている。
丘を登り40分ほど、開基百年記念塔にたどり着く。展望台からは稚内市、遠くに日本最北端の地・宗谷岬、また反対側には礼文島・利尻島を眺めることができる。建物の足元では涼しい風にすすきがそよぎ、おだやかな秋の気配である。つかの間の季節だろう。あと一月もすれば冬が訪れる。僕はその厳しさを知らないが、このぬくもりもいつか風にさらわれていく。
稚内駅へ戻ると、既に特急サロベツが出発の準備を始めていた。立ち食いそばでかけそばを流し込み、セイコーマートで缶ビールを2本、ザンギを調達して乗り込む。列車はもと来た鉄路を南へ、サロベツ原野の牛たちに別れを告げ、天塩川を眺め、たちまち上川盆地へ入る。まだ見ぬ鉄路を進むときは、興奮と驚きで時間が長く感じるが、帰路はあっという間である。
旭川へ着いたのは16:49分だった。ここからは石北本線、17:05発の特急大雪に乗って網走方面へ。充当されている車両は国鉄型気動車のキハ183。年季の入った鋼鉄車体は穏やかな水面のように波打ち、ラベンダー色の塗装が光る。車内へ入るとどこなく青白い蛍光灯に、ワックスのすれた床板。最後部の座席にもたれると、程よくクッションが効いている。年季の入った車内あちこちから、厳冬の地でこの車両が刻んできた歴史を感じる。
夜汽車とオルゴール
重厚なディーゼル音を響かせながら旭川をすぎると、たちまち陽が落ちた。夜汽車となった大雪は、どこかもわからない闇の中を、ただひたすら駆けていく。
途中、遠軽駅でスイッチバックがあった。進行方向を入れ替えるのだ。停車時間を使って車内を散策すると、車掌室にオルゴールを備え付けた受話器が置いてあった。かつて車内放送のために、国鉄の車両に多く備え付けられていた設備だ。
列車が出発するとオルゴールを巻き上げて1周鳴らす。鳴らし終わると、「この列車は〇〇行きです」といった具合にアナウンスが始まる。曲目は「アルプスの牧場」。昔はこのオルゴールが旅の合図だった。おぼろげだが、僕もはるか昔に聞いた記憶がある。例えばそう、3月下旬、信越本線で走っていた特急車を使った普通列車。車窓の妙高高原は一面の雪景色で、太陽を跳ね返してまばゆい。はたしてこの列車で聞いたかは定かでないが、そんな景色を思い出す。
遠軽を発つと、最後部であった自分の座席が最前列になった。カーブが多い区間に入ったのだろう。前照灯は曲がりくねるレールを照らし続け、時おり信号機や踏切の点滅がパッと姿を現し、過ぎ去っていく。
19:57分、列車は北見駅へ着いた。もうかれこれ稚内から6時間以上移動してきたことになる。網走まで乗ると21時近くなってしまうので、北見の安宿を抑えておいた。
チェックインを済まし、薄暗い廊下を抜け部屋に入ると、壁一面がヤニで煤けている。なにか居酒屋があれば一杯と思い街へ出るが、すでに店は閉まっているようで閑散とした駅前だった。しかたなくコンビニでカップ麺とビールを買い、部屋ですすった。テーブルの上にはラミネートされた注意書きと、成人VODのパンフレット、小さいブラウン管のテレビが置いてある。
わけもなく虚しくなってしまった。ベッドに横になると知人に電話をした。他愛もない夜だった。
ー続くー
<TEXT/お雑煮>