京阪京津線の廃線跡をゆく。“日本最大級の急勾配”に想いを馳せて(東山-日ノ岡)

投稿日:3月 30, 2020 更新日:

京阪京津線。京都市営地下鉄東西線から直通し、御陵(みささぎ)と浜大津の7.5kmを結ぶ鉄道路線だ。

同路線は急勾配や併用軌道を走ることから、「日本で唯一、地下鉄登山電車路面電車を楽しめる路線」として有名である。

そんな鉄道ファン垂涎の京津線だが、かつては大日山の支峰を超えて、京阪三条まで線路が続いていた。今回はその廃止区間を探訪してみた。

三条ー御陵。京津線の廃線跡を歩く

地下鉄東西線の路線図。かつて三条京阪ー御陵の同区間に京阪電車の線路があった(京都市交通局HPより)

廃止となった区間は、京津三条(現・三条京阪)から御陵までのおよそ11km。このうち京津三条ー蹴上・日ノ岡ー御陵併用軌道蹴上ー日ノ岡専用軌道であった。

1997年10月12日、同区間は地下鉄東西線の開通にあわせて廃止。京津線は御陵ー浜大津間に短縮され、京津三条ー御陵の区間は地下鉄に譲ることとなる。

東山駅の上を走る京都府道143号線

今回の探訪のスタート地点は地下鉄東西線の東山駅付近。ここから大日山を越えて旧・日ノ岡駅まで歩いていく。

東山駅を出ると目の前に現れるのは、京都府道143号線だ。当時はこの車道の上を京津線の併用軌道が走っていた。今となっては広々とした道路だが、併用時代は白線のない両側二車線道路であった。

旧・蹴上駅付近。左手に関西電力・蹴上発電所が見える

143号線を歩き進めると、ゆっくりと勾配が始まり、蹴上の大カーブに差し掛かる。カーブの左手に見えるのは関西電力・蹴上発電所、奥手に見える土手は蹴上インクラインである。

旧・蹴上駅はちょうど、このカーブの中央分離帯あたりに設置されていた。春先にはインクラインの桜並木が景色を彩り、京津線きっての撮影スポットであった。

蹴上駅から京津線最大の急勾配へ

反対方向から旧・蹴上駅付近をのぞむ。電車はここから専用軌道に入る

反対方向から旧・蹴上駅付近をのぞむ。電車はこの交差点から専用軌道に入っていく。いよいよ大日山の山越えである。

この区間の勾配は66.7‰(パーミル)、1kmあたり66.7mを登る急勾配だ。これは当時「国鉄最大の難所」と言われた信越本線・碓氷峠と同じものである。電車は専用軌道に入るや、ノッチを全開にして登り坂に挑む。

蹴上浄水場付近。線路は三条方面へ向かう車道のあたりに敷設されていた

登り坂の途中、蹴上浄水場を超えると左手にカーブする。京津線の専用軌道は、三条方面の車道のあたりに敷設されていた。

当時の143号線は3車線で、交通量に合わせて中央線を変更していた。京津線廃止後は拡幅工事がなされ4車線となる。

陸橋の形状が手前と奥で異なっている

カーブを抜けると小さい陸橋をくぐり抜ける。陸橋の形状が手前と奥で異なっているが、奥手の窪んだあたりに京津線の線路があった。この陸橋を抜けると、旧・九条山駅である。

京津線廃線跡に漂う、鉄道の気配

九条山_京津

陸橋の上から九条山駅跡をのぞむ

先ほどの陸橋から、九条山駅の跡地をのぞむ。線路の対岸にはかつて駅前商店だった住宅が連なり、ここに鉄道が走っていたことを物語っている。この一帯は地下鉄東西線の建設時に代替駅が設置されず、民事訴訟に発展した。結局住民側が敗訴する形となり、現在は1時間2本ほどの路線バスが発着するのみ。

九条山_下り坂

九条山駅を出発するとすぐに下り勾配へ差し掛かる

電車は九条山駅を出発すると、下り勾配に差し掛かる。廃止となってしばらくの間は、使われなくなった京津線の旧型車両がこの付近の線路に集められた。結局、これらの車両たちは再活用されることなくこの場で解体されてしまった。

夏草や兵どもが夢の跡。蹴上の急勾配を駆け抜けた京津線のエースが、道路のすぐ横で鉄塊となっていく。当時の鉄道ファンにとっては、さぞショッキングな光景だっただろう。(Googleで「九条山 解体」と検索すれば当時の画像が出てくる)

日ノ岡_下り坂

道路脇の建物は当時から残るものだ

ところで、先ほどから廃線探訪という割には歩道を歩いているばかりで、京津線の面影はほとんど見あたらない。当時から残る建物はそこそこ確認できるのだが、線路跡を歩いているという実感はイマイチ得られない。

しかし、九条山の坂を下り終えるころ、ようやく旧・京津線に残る貴重な遺構(?)を見つけることができた。

沿線の柵看板。今回の探訪で唯一、京津線時代から残る遺構(?)だった

それがこちら。「仏具販売・りんぶとん製造 マツモト」と書かれた看板だ。この看板は京津線が走っていた頃から残っているもので、当時の動画を観てみると、線路脇の同じ位置に「マツモト」と書かれた看板を確認することができる。僕は確かに、線路跡の上にいるようだ。一安心である。

日ノ岡の合流地点は歩道の幅が広くなる

さて、廃線探訪を続けよう。大日山を下り終えると一帯は住宅街となり、歩道が大きく広がった。143号線との合流地点である。

歩道の幅から察するに、ここだけは線路跡をそのまま埋め立てているのではないか。電車はここから再び車道に合流して、併用軌道を走る。

憧れの車両に想いを馳せて……

日ノ岡駅_全景

当時、日ノ岡駅の停留所があった地点

街道を縫って、今回のゴールである旧・日ノ岡駅へ到着した。どうやら、この信号の奥に京津線の停留所があったようだ。ゆとりを持って道路が整備されているあたり、鉄道の気配がする。

日ノ岡_畳

畳店の横には日ノ岡駅の駅舎があった

旧・日ノ岡駅の近くの交差点には小さな空き地があるが、ここにはかつて日ノ岡駅の駅舎が建っていた。駅舎といっても簡易なもので、小さなトタン張りの待合所に、ベンチが4脚と自販機が二台、公衆電話が収まっていた程度らしい。

結局、最後まで鉄道らしい遺構を見つけることはできなかったが、当時の京津線の雰囲気は十分に楽しむことができた。

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僕は、かつて京津線を走っていた80型という電車が好きだった。まだ幼い頃に廃車になってしまったため、この電車が動いている姿を見たことはない。しかし今回、京津線の廃線跡を歩いてみるとどうだろう、まだこの地で80型が動いている気がしてなんだか胸が高鳴った。

蹴上の登り坂や九条山駅の跡地を眺めていると、いつの間にか脳内に80型が現れて、けたたましく吊り掛けモーターを唸らせながら、目の前を通り過ぎていく。今回、記事の一部の画像に当てはめた鉄道のイラストは、取材中に“視界に”飛び込んできた鉄道たち、そのものである。

<TEXT/お雑煮>

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