
明里

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住宅街の中にぽつんと存在する廃墟…どこかで見た検見川送信所の写真に興味が湧いた。
「廃墟」と一口に言っても様々なものがあるが、今回の検見川送信所はかなり歴史的な価値がある建物だ。調べれば調べるほど面白い検見川送信所の秘密に迫る。
埋もれすぎ…検見川送信所とご対面

雑草に覆われた検見川送信所
検見川送信所は、周りが閑静な住宅街でまさか廃墟があるとは思えないほど整備された街にある。総武線新検見川駅から徒歩7分ほど歩くと、雑草で覆われた巨大な土地に遭遇する。
私の身長以上に伸びた雑草に埋もれ、その全貌を見ることは難しくなっているものの、これが検見川送信所だ。
想像以上に雑草が生い茂っている…。ネットで検索したときに、送信所の建物に近づいて見学している人の写真を見ていたのでショックだった。これじゃ建物に近づくこともままならない…。立ち入る人を近づけないための雑草の茂りなのか、大人しく周りから眺めることにした。
検見川送信所の歴史

検見川送信所の裏手
検見川送信所の歴史は、かなり濃い。大正15年(1926年)に、東京無線局検見川送信所として開局された。100年近く前の建築ということだ。初期モダニズム建築の検見川送信所を設計したのは、東京中央郵便局も設計した吉田鉄郎。
本館は2階建ての強固なコンクリート製で、角が丸いのが特徴だそうだ。本館だけでなく、給水塔も保存されているらしいが、生い茂っていたため確認できなかった。
検見川送信所は、日本で初めて短波による標準放送を発信した施設、また1930年には浜口首相が演説を国際放送として発信した場所としても知られている。
かなり通信技術の実験が行われていた場所だったようだが、新しい通信手段、周辺の住民とのトラブルによりその役目を終えたのだという。同じように送信所として活躍していた場所に船橋市の「海軍無線電信所船橋送信所」がある。こちらも今度散策したい。
検見川送信所の保存の動きは…?
昔の検見川送信所は海岸線に面していたそうだが、埋め立てにより住宅地となっているようだ。落書きやむき出しになっている現状からすると、いつ取り壊されてもおかしくない状況に思う。
千葉市が中学校用地として敷地を取得し、取り壊される話もあったようだが、2007年に保存運動が活発化したそうで、保存の動きになっているという。「検見川送信所を知る会」という団体らしい。歴史的に価値のある建築物を多くの人に知ってもらい、お互いに理解を深めることが大事だと感じた。
現在も、文化財としての指定はされておらず、活用も未定のようだが、廃墟のまま放置しておくのはもったいない建築物だ。
<TEXT/明里>