遊郭と赤線。建物から辿る、五条楽園の生い立ち
江戸時代から続く花街だけに、建築の変遷も興味深い。この建物は昔ながらの町屋造りだが、玄関の床下がピンク色のスクラッチタイルで装飾されている。これはおそらく、遊郭から赤線へ転換した際に施されたものだろう。
GHQの公娼廃止指令で遊郭が閉鎖されると、妓楼は“飲食店(=特殊飲食店)”に衣替えした。こうして警察署によって、特殊飲食店の営業を黙認された地域が赤線である。赤線にある風俗店は、当時流行していたスクラッチタイルで装飾を施し、飲食店(カフェー)に擬態していた。
このような背景から、赤線時代に新たに建てられた風俗店は喫茶店を思わせるカフェー建築のものが多い。この建物は五条楽園に遺るカフェーの中でも最大規模のものだ。娼婦100人、床の間20室は下らないだろう。おそらく当時は正面玄関が受付で、客引きを行なっていた。側面の丸窓が華やかな印象を添える。
こちらも赤線を象徴する建物である。玄関には「新みかさ」という当時の屋号が残る。
市松模様の豆タイルで壁面は覆われ、深青色に焼かれた窓縁のタイル、二階にはステンドグラス装飾が施される。摘発前まで営業していた店舗の1つだ。
新みかさの在る路地を高瀬川に向かって抜けると、これまた印象的なカフェーが連なる。綺麗に道を分けた角店。シンメトリックな佇まいが美しい。
一見、俗っぽさのない質素な雰囲気だが、化粧柱に施されたタイルが花街であることを思い出させる。
摘発から10年。消えゆく花街風情
本家三友から鴨川に向かって進むと現れる、二階建ての飲食店。既にシャッターで店は閉じられている。お茶屋やカフェーと比べると新しい物件であろうが、明らかに“ちょんの間”を思わせる抜群の雰囲気だ。当時はこのピンク色のシャッターが開き、ホステスと遊女が蛍光灯に照らされ、腰かけていたはずだ。
高瀬川の正面橋を渡って直ぐにある「サウナの梅湯」。脱衣所の天井にはステンドグラス、サウナ室にはモダンなタイル装飾、水風呂には石橋がかかっている。花街の風情に溢れる、どこを切り取っても可愛らしい銭湯だ。五条楽園が花街として栄えていた当時は、この銭湯でひとっ風呂浴びて……そんな男性も少なくなかっただろう。
摘発から10年が経つ五条楽園。しかし、今なお当時の雰囲気を感じ取ることができた。昔ながらのお茶屋がゲストハウスに改装されていたりと、再活用されている姿も伺える。一方で赤線以降の飲食店など、雰囲気に乏しい建物は建て替えが進む。下調べしていたいくつかのカフェーも、結局見つけることができなかった。
やはりこの一帯は摘発後に衰えてしまったようで、路地に入れば空き家も目立つ。健全化の波に揺られながら、京都の花街風情はひっそりと終焉を迎えつつある。
〈TEXT/お雑煮〉