大阪を代表する大手私鉄・南海電鉄。
なんば駅を起点にして関空・和歌山・高野山方面のアクセスを担うが、実は大阪市内にもうひとつの起点を有していることはあまり知られていない。
それが南海汐見橋線・汐見橋駅だ。
今回は汐見橋駅を目指し、岸里玉出駅から汐見橋線を乗りつぶす。
忘れ去られた幹線・汐見橋線を行く
南海汐見橋線は汐見橋駅〜岸里玉出駅の4.6kmを結ぶ路線だ。
ただし「汐見橋線」とは通称で、正式には南海高野線の一部である。1985年に高架化工事が行われるまでは汐見橋駅を起点として高野山方面へ線路が延びていたのだ。
今回の探訪は、岸里玉出駅の6番線からはじまる。
このホームは高架化工事の際、汐見橋線のために設置されたもので、本線と完全に切り離されている。
今回乗車する、南海2230系が入線してきた。
もともと「ズームカー」という愛称で高野線の急行運用に就いていたが、現在は2両編成で汐見橋線をのんびり走る。ところで写真の奥に大きくカーブしている線路が見えるが、これが現在メインで使われている高野線である。
車内は2扉車特有のスーパーロングシート。座面のモケットは交換されているが、当時の雰囲気を十分に残している。
いよいよ出発だ。電車はワンマン運転のため、運転手が発車作業を行う。
「扉が閉まります・ご注意ください」
簡単な自動音声とブザーが鳴り終わり、ドアが閉まると電車はゆっくり動き出した。
岸里玉出駅を出るとすぐに左へカーブし、本線から離れていく。
発車、定時。在りし日の高野線に想いを馳せて……
カーブを曲がり終えると、終点の汐見橋駅まで複線区間となる。汐見橋線が高野線として機能していた頃の名残だ。先ほど岸里玉出駅でカーブしていく高野線を眺めたが、高架化工事によって線路が分断される前はこの線路がつながっていたのだ。
それを示すように高野線の路線図では、岸里玉出駅を起点として汐見橋線の駅番号がマイナスで表記されている。西天下茶屋駅は「-1」、津守駅は「-2」……。すでに役目を終えた路線という雰囲気で、なんとも切ない。
岸里玉出駅から2分ほどで最初の駅・西天下茶屋に到着。
西成地区のほぼ西端に位置し、昔ながらの住宅街といった雰囲気だが、1日あたりの乗降車数は250人にとどまる。東に少し歩けば天下茶屋駅があるため、利用者が流れているのだろう。
駅舎はこじんまりとしながらも洋風建築の立派なものだ。南海高野線の前身となる「大阪高野鉄道」が開業した当時から使われているとか。大阪高野鉄道の開業が1915年なので、相当年季の入った建物である。
電車はしばらく直線区間を走行する。古めかしい架線柱と、昭和の香り溢れる天下茶屋の街並み。「都会のローカル線」という愛称は伊達ではない。
次に到着する津守駅は、駅舎のそばに西成高校と西成公園がある。汐見橋線として分断される前は、堺・橋本方面の通学の足として、この駅が活躍していたのだろうか。
電車は津守駅を出発すると木津川に沿って大きくカーブする。
ここから先は左手に工業地帯、右手に住宅街といった景色が続く。周辺は活気ある雰囲気もなければ、閑静な雰囲気もない。大阪のエアポケットだ。
阪神高速17号線をくぐり抜けると、汐見橋線の中間駅、木津川に到着する。
オールドタイマー・木津川駅を堪能する
木津川駅は、汐見橋線の途中駅の中では唯一の島式ホームだ。レールを使って組み上げたY字屋根に、木造のベンチ。2両編成の列車に似合わない、4両ほどの有効長があるプラットホーム。時代に取り残された昭和の鉄道風景が、そっくりそのまま残っている。
昭和15年から使われている木津川駅舎。緩やかにカーブを帯びた、端正な佇まい。
駅舎の周辺は更地となっており、駅の横にはレンガ工場。生活に密着している雰囲気は全く感じられない。木津川駅の乗降車数は1日平均120人前後で、大阪府で最も利用者の少ない駅の1つと言われている。
今となってはすっかり廃れてしまったが、かつては貯木場から資材を輸送する貨物駅として重要な役割を担っていた。その証拠に、駅構内には貨物輸送用の側線が残っている。側線には架線が張られておらず、既に役目を終えた鉄路であることがわかる。
川のない橋梁を渡り、大阪の中心部へ
木津川駅を出発すると阪神高速15号線と合流し、終点の汐見橋駅まで並走する。高速道路との合流地点には「下十三間川橋梁」というガーター橋がかけられている。
ここにはかつて、大和川から木津川につながる運河(下十三間川)があったが、埋め立てられて橋梁だけが残った。阪神高速15号線はこの運河の跡に沿って敷設された。
自動車教習所の脇を抜けて、芦原町駅へ到着。近くにはJR芦原橋駅があるが、接続は行っていない。
電車は芦原町駅を出発して直ぐに、大阪環状線とオーバークロスする。
環状線の車窓からも線路を見ることができるが、これが汐見橋線だと知っている人は少ないのではないか。
大阪環状線をくぐり、南大阪の心臓部に潜り込めば、汐見橋駅まで間もなくだ。
電車は速度を落とし、頭端式のターミナルに進入する。
終点・汐見橋駅に到着した。なんば駅に集約されるまでは、ここが高野線の起点となる駅であった。しかしホームは島式1面、2本の線路のみ。僕を含めて数名の乗客は、ドアが開くとポツリポツリ、それぞれの行き先へ消えていく。運転士はマスコンキーを抜き、ブレーキハンドルを外し、直ぐに折り返し準備を始める。
空港アクセスの夢も虚しく…汐見橋線に活路はあるのか
最盛期には巨大な貨物ヤードを併設していた汐見橋駅だが、今となってはターミナルに見られる華々しさや威厳もなく、ガランと持て余したコンコースが寂しい。ここから東に1kmも歩けば食い倒れの街・心斎橋だが、汐見橋駅の周辺は喧騒とはかけ離れた、静かなものだ。
人々の記憶から忘れ去られた鉄道路線。
ところでなぜ、このような路線を南海が残しているかというと、汐見橋線を梅田ー関空を結ぶ新路線「なにわ筋線」の一部として延伸する構想があったからだといわれている。なにわ筋線が開通すれば、汐見橋線はたちまち空港アクセスの基幹路線に躍進する。しかし結局、なにわ筋線はJR難波駅を経由して建設されることとなり、汐見橋線が活用される案も立ち消えてしまった。
延伸構想がなくなってしまった今、一部では廃線の噂もささやかれている。果たして汐見橋線は、活路を見いだすことができるのか。
<TEXT/お雑煮>