根岸の住宅街に眠る白亜の木造洋館「西宮邸」。陸奥宗光の旧宅

投稿日:10月 14, 2020 更新日:

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明里

明里

休日は一眼レフを片手に下町やディープなスポットを散策するのが生きがいな女子大生です。

私はこの日、根岸にあったという花街の名残を散策していた。東京都台東区にある根岸はJR鶯谷駅から歩いて行ける。花街の場所が見つけられず、住宅地をウロウロとしていると、目の前に白い洋館が突然現れた。

この建物は一体…?病院?廃墟?

今回は住宅街に眠るこの巨大な洋館の謎に迫る。

住宅街に現れた木造洋館

鶯谷駅北口から、言問通りを渡って路地に入ると、正面に現れるのが木造洋館だ。周りは住宅街、マンションに囲まれており、木造洋館がまさかこんな場所にあるとは誰も思わまい。しかし、周りの一軒家と比べても引けを取らない大きさだ。

木造洋館の正面写真

白く塗られた外観から、一見、病院?のように思ったが、横に丁寧に看板が設置されていた。

ただの古い建造物では無さそうだ。

丁寧に書かれた看板が設置されている

 

西宮邸・旧陸奥宗光が暮らしていた歴史

夕陽に照らされて美しい

この建物には、明治の外務大臣として有名な陸奥宗光が住んでいたようだ。陸奥宗光の最後の住まいは、北区にある旧古河庭園。それ以前に家族と住んでいたのが、この西宮邸だったらしい。

明治17年(1884年)4月から明治19年(1886年)2月まで陸奥宗光はロンドンに留学したが、その留守中に、後年、「鹿鳴館の華」と称される妻の亮子と子どもたちが暮らしていたという。宗光は留学から帰国した後も、1887年に転居するまでここで過ごしていた。

さらに、この建物は住宅用建築として建てられた洋館の現存例としては、都内で最も古いものだそうだ。もともとは、現存の洋館に和風(内部は洋式)の建物が付属した接客部と、母屋に付属した離れと土蔵二つを持つ生活部からなる和洋館並列型住宅だったそうだ。少し前までは、その姿も確認できたが、現在は洋館だけが残っている。

現存する洋館はコロニアル様式で、陸奥家の家紋である「逆さ牡丹」も邸宅内には残っているのだとか。

その後、1888年に売却し、1907年に「ちりめん本」を出版していた長谷川武次郎によって買い取られた。現在も、この家ではその子孫の西宮氏が住んでいるため、建物内への立ち入りはできない。

静かに外観を見学するのみだ。

地域の方の協力もあって、こうした丁寧な解説の看板が掲示されているらしい。これだけ立派な邸宅を維持するのも大変だろうが、地域の人々に支えられて受け継がれている。

根岸の花街は見つけられなかったが、思いもよらない洋館に出会えて満足だった。

<TEXT/明里>

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