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国民的アイドル「嵐」のメンバーである相葉くんは千葉県出身。実家の中華料理屋はファンが押し寄せている…という話をよく聞く。
しかし、千葉県には他にも、嵐ファンの聖地として密かに人気を集める神社「二宮神社」が存在する。
そしてさらに調査していくうちに、「二宮神社」の1200年以上の奥深い歴史を発見。下総七年祭りとは?二宮の由来は朝廷からの信頼度合い?様々な謎が解き明かされる。
聖地だけじゃない!「二宮神社」1200年以上の歴史
二宮神社は千葉県船橋市に位置する神社。
最寄り駅はJR総武線津田沼駅・新京成線薬園台駅など。しかし駅からは距離があるため、バスなどの公共交通機関を利用するのがおススメである。
最近は嵐ファンが多く駆け付ける「二宮神社」だが、その歴史はとても深い。
創建は810年~823年と言われており、嵯峨天皇の御勅創によるものとされている。実に約1200年以上の歴史を持つ。平安時代中期に編纂された『延喜式』(古代の法典のようなもの)では「下総国千葉群寒川神社」としての記載が見られる。
『延喜式』に記載された神社を「延喜式内社(式内社)」と呼ぶらしく、現在も石碑にその文字が残されている。

「延喜式内 二宮大明神」の文字が見える
道路の真ん中に堂々と立っている石碑。安政六年(1859)のもの。歌碑とともに、道標としての役割も兼ね備えている。
また、朝廷からの崇敬も集めていたようで、「二宮神社」の名前の由来もそこから読み解くことができるらしい。
「令制国(りょうせいこく)」。飛鳥時代から明治時代まで、律令制に基づいて日本の行政区分は設置されていた。その単位によると、最も格式の高い神社を「一之宮」というらしい。その次が「二之宮」。「二宮神社」は「二之宮」であったことから、現在の二宮神社として称されるようになったそうだ。朝廷からも認められた、格式高い神社であることがわかる。
下総七年祭りとは?
下総七年祭りは室町時代から現代に至るまで続く伝統的なお祭りで千葉県の無形民俗文化財として有名だそうだ。「下総」とは、昔の千葉県北部の名称。都から遠い房総を「上総」、北側を「下総」区別していた。
丑年と未年にあたる年、数えで7年の年に行われる下総を代表する寄合祭り。船橋市・千葉市・八千代市・習志野市から9つの神社が集まり、それぞれの神社に役割があるそうだ。二宮神社は中心である「父親」の役割。
「二宮神社大祭用地」の碑は、神社から少し離れた場所に設置されていた。
多くの神社が一斉に集まる様子は圧巻だそうで、七年祭りの年を狙って足を運んでみたい。
階段を上り下り。特徴的な参道
前置きが長くなってしまったが、「二宮神社」の境内を案内する。
立派な木製の鳥居がお出迎え。ここでも「延喜式内」の文字が碑に見られる。
鳥居の左右には出雲大社参拝記念の石碑などが設置されていた。

石段の下から
鳥居をくぐると見えてくるのは石段。一度を石段を下ってから、また上るという構造の参道になっている。「これは珍しい」と思うとともに、参拝するまでのワクワクを感じることができる。
石段を下ると、小さな赤い橋が見えてきた。谷の狭間にいるような感覚で、なんとも言えない幻想的な空間だ。この橋の下を流れている小川は、近くの「菊田神社」に繋がっているのだとか。
参道の両側は綺麗に整備されており、「御手洗之泉」という名前で地域の方に親しまれてきたようだ。この泉を解説する石碑には「この清水の湧出がある限り三山の繁栄を象徴する泉」とある。素敵な話だ。

石段と鳥居、ご神木という素敵な写真が撮れる
参道から石段を見上げる。大きな鳥居と拝殿が覗く景色。
鳥居の左手にそびえる大きな木は御神木。「二宮神社のイチョウ」として船橋市の天然記念物に指定されている。
参道には新しく設置されている二宮神社についての看板。現代風なイラストに驚く。
この他にも、下総三山の七年祭り、二宮神社の御神木であるイチョウの案内板が設置されていた。案内板に詳細が書いてあるため、この神社の歴史を知らない参拝客でも楽しめる。

とても可愛らしい狛犬
明治時代に奉納された狛犬。前掛けがかけられている。
写真奥手に見える手水らしき建物は倒壊してビニールシートで包まれていた。隣の石碑まで被害があるので、かなりの衝撃があったと思われる。