
明里

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「太宰治ゆかりの玉川旅館が100周年目前で廃業 新型コロナ自粛影響も引き金に」との見出しが、一斉に世に出たのが2020年5月19日。あまりに突然の知らせに、玉川旅館の地元である千葉県・船橋の方だけでなく、太宰治のファンの方も驚きを隠せない。
世界的流行である新型コロナウイルス。その影響は国の有形文化財にまで忍び寄ってきた。私は、貴重な文化財を記憶に残すため、6月の解体前に急遽訪問することにした。
灯が消えかかろうとしている文化財の姿をこの目で納める。
はやる気持ちを抑えて玉川旅館へ
6月に解体されるとあって、訪問できるのは5月いっぱい。2週間ほどしか猶予はない…。報道発表が出てから、一週間経ってからようやく足を運ぶことができた。
玉川旅館へのアクセスは千葉県船橋市の「船橋駅」が便利だろう。JR総武線と京成線が通船橋駅から徒歩10分ほど。国道14号線をに近づくと、至る所に玉川旅館の広告が。

あちこちに玉川旅館の広告が…
今となっては悲しく私たちに語りかけるそれらに導かれるように進むと、純和風な建物が見えてきた。

赤い文字が目立つ玉川旅館
解体前とあって多くの報道関係者や観光客の姿
玉川旅館に到着するまでにも、見物客と見られる人に多くすれ違った。みんな、名残惜しそうに玉川旅館を後にしているようだった。

玉川旅館
報道関係者と見られる車が多数駐車しており、玉川旅館の入り口には次から次へと見物客が押し寄せてきた。最終日や休日にはさらに多くの人が別れを告げに来るかもしれない。
親子連れや三脚を持って本格的に撮影をする方もいた。また、私が仲良くなった年配の方は、以前忘年会で毎年利用していたそうで、わざわざ遠方から足を運んできたらしい。温泉や建物の構造も詳しい様子だったため、少し案内もしていただいた。
最後の別れの時に、同じ嗜好を持った方々と交流できるのは良い時間だった。
玉川旅館とは

赤いネオンは現役で昼間でも光っていた
玉川旅館は1921年(大正10年)創業の温泉旅館。
正式名称を割烹旅館玉川(かっぽうりょかんたまがわ)と呼び、本館・第一別館・第二別館の3棟が国の登録有形文化財に登録されている格式ある旅館だ。木造平屋建て、瓦葺の建築綿製は約70坪。昭和10年頃、太宰治が第二別館の「桔梗の間」に、20日ほど滞在したことで知られ、「虚構の春」などの作品が玉川旅館で執筆されたという。

建物の下層部が桔梗の間らしい
短い滞在期間であったが、太宰治は自身の回想記である『十五年間』(昭和21年)にて、「最も愛着が深かった」と述べているのが玉川旅館がある船橋だった。
彼が最後に入水する「玉川上水」と奇しくも同じ名前の「玉川旅館」。
全国から太宰ファンが訪れる場所となった。
そんな玉川旅館は、100周年目前にして2020年4月を末に廃業し、取り壊しも決定している。理由としては、新型コロナウイルスによる自粛の影響で売上が減少したことと、災害による木造家屋を維持管理する費用に頭を悩ませていたそうだ。今回の自粛によってタイミングが早まった形となった。