千葉県に位置する松戸は、江戸川の水運の拠点としてだけでなく、水戸街道の宿場町としても古くから栄えていた。そして当然のように、遊郭としての歴史も存在する。
江戸時代には、飯盛女(めしもりおんな)と呼ばれる私娼を抱える飯盛旅籠が立ち並び、その後、明治に平潟遊郭として知られるようになった。関東大震災の後は、吉原など他の遊郭地が燃えてしまったこともあり、かなりの規模の遊郭地であったことが窺える。
今回は、歴史の深い平潟遊郭の名残を求めて散策する。
新選組・近藤勇ゆかりのビジネスホテル
松戸駅西口から降りて、松の木通りを北上していくと、「松戸シティホテルセンダンヤ」が見える。ここはかつて、新選組の近藤勇も流山に向かう際に宿泊したとされる「栴檀屋」。
現在は、普通の綺麗なビジネスホテルだが、江戸時代から続くビジネスホテルと知ると、泊まってみたくなる。
最近改装されて新しくなったそうだが、改装される前は、建物の前に案内図と道標が置かれていたらしい。道標には平潟遊郭の文字が残っていたようだ。現在は水堰橋の近くに存在するという情報もあるが、確認できていない。(GoogleEarthで探したところ石碑らしきものは確認できたが、道標かは不明)
住宅地が広がる平潟遊郭跡
現在は、閑静な住宅地の広がっている平潟遊郭。赤線の名残など期待していなかったが、その当時の柱を見つけることができた。
街灯だったのだろうか。上を見上げると電気の装飾跡のようなものが見える。
デザインがとても凝っていて、現在の電柱と比べるとひと際目立って見える。
そんな電柱が平潟遊郭の大通りと言われた道に3本、裏に1本確認することができた。
道に立っているものもあれば、家の敷地内に立っているものも。傾いていたり、銅線がむき出しになっている様子を見ると、いつ撤去されてもおかしくないように思う。
そして今はもうこの辺りでは平潟という地名は地図では確認できないが、古くから残るプレートにのみその名前を確認できる。
他にも、存在感のある大きな柳の木が当時の雰囲気を醸し出している。
ここまでしっかりとした柳は初めてみたかもしれない。当時は立派な柳並木が並んでいたのだろう。関係はないだろうが、放置されたバスが2台あり、この空間だけ時代から置き去りのようだ。
ひっそりと佇む水神宮(平潟神社)
平潟遊郭のすぐそばにある平潟神社。ここにも、わずかだが花街の歴史が残っている。
拝殿の両サイドにある古い天水桶をよく見ると、「九十九楼」の文字。妓楼からの寄贈品を考えられる。
そしてこの境内にも、影を薄くした柱が建っていた。これで全部合わせて5本が残っていることが確認できた。
遊女の伝説が残る池田辯財天
平潟遊郭を後にして、松戸駅東口から市役所の方面へと向かう。市役所の裏手にあるのが「池田辯財天」。
子どもへの注意書きと、鳥居の乱立する風景からこの場所の異様さを感じる。そして鳥居は奥に行くほど低くなり、かがんで通らなければならない。違う世界の入り口のようだ。
鳥居をくぐった先には本殿が見える。広めの椅子も用意されているので、散歩の休憩としては丁度良さそうだ。
なぜ、この場所が遊女に関係があるのかは、飾ってある案内を見ればよくわかる。
内容がとても濃いので、読んだ後の気持ちは複雑だが。平潟遊郭の遊女がこの場所まで、夜な夜な通ったことで、遊女の願いが叶ったという話。
棚に飾られた無数の蛇も、話を知ると重みが違う。
事情の知らない子どもが遊んでしまうのは無理もないフォルムだが、これは多くの人々の願いが込められているのだろう。
角海老と神社の組み合わせ
最後に、現役の風俗街を散歩して締めくくりたいと思う。
松戸駅の線路沿いにある「松戸角海老根本店」。吉原に本店を持つ角海老グループのひとつだ。
その隣には「岩山稲荷」という小高い山の上にある神社。風俗と神社という立地になんとも言えない違和感。
階段の途中で見つけた何かの跡が気になるのだが、それにしてもガタガタの階段で登りにくい。
角海老を上から堂々と見渡せるのはここだけなのではないか。ある意味、良い眺めだ。
<TEXT/明里>