大塚三業通りの鑑札
大塚の花街としての歴史は、大正8年。最盛期には700人もの芸者がいたそうで、かなりの規模であったことが予想される。
そして見えてきたのが、「千草」と呼ばれる割烹。
ネットで検索すると現在も水炊きのお店として営業しているそうだ。
入り口は草木が生い茂っており、意識しないと確認が難しそうだが、鑑札(かんさつ)がしっかりと残っている。「料てい」とひらがなで表示されているところが、また時代を感じる。
千草のお店の前の、角張った三角上の建物に目が行く。どうして、このような道も曲がりくねった地形なのかと疑問に思ったところ、どうやら川の名残だったそうで、納得がいく。
たばこの文字だけがかろうじて残っている。昨今の禁煙の流れによって、このようなたばこの文化も歴史の1ページになってしまうのだろうか。
このあたりでは現代版・連れ込み宿も多く確認できたが、廃墟化したホテルが放置されているものほど、怖いものはない。
花街の名残を訪ねて
再開発の裏にたたずむ大塚三業地は、令和になった現在も生きている花街だった。私が確認できただけでも、数件それらしきものがあったが、普通の民家と混じって見落としている点も。今度は花街としての明りが灯る時間帯にでも散策しようかと思いを巡らす。
<TEXT/明里>