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「吉原」の名をどこかで一度は聞いたことがあるのではないだろうか。
かつて「一日で千両落ちる」とまで言われた江戸時代最大の遊郭、吉原。その遊郭文化は400年以上経った、令和の現在にも受け継がれている。
しかし、かつて繁栄を極めた吉原の現在の姿を知っている人はどれほどいるのだろうか。そこで今回は、現在の吉原を散策する。
観光名所・浅草から散策

浅草寺。外国の観光人の姿も多い。
実は、吉原は観光名所として常に賑わっている浅草から徒歩圏内である。吉原の最寄り駅としては東京メトロの三ノ輪駅の方が近いのだが、今回は浅草観光を兼ねて吉原を巡る道順で行く。
吉原は浅草寺の北方面、千束(せんぞく)四丁目のあたり。
浅草寺の西側にある「浅草ひさご通り商店街」を抜けると、浅草の活気からは想像もできないような静かな商店街、千束通りに出る。千束通りは、飲食店や肉屋など地元の方に愛されているような、昔ながらの商店街だ。散策するのにちょうどいい。
吉原を囲む堀の話
千束通りを少し歩くと、京町通りが左手に見える方へ進むと、花園通りに出る。
そう、ここからが吉原である。花園通りの道、吉原に沿ってがかつて羅生門河岸(らしょうもんがし)と呼ばれた通り。最下級の女郎屋、切見世(きりみせ)が立ち並び、客を無理やり引き込む様子から、鬼の登場する羅生門にちなんでつけられた名前らしい。なんとも胸が痛くなる話だ。

お歯黒どぶの跡と思われる
江戸時代の吉原の四方は、遊女が脱出しないようにお歯黒どぶと呼ばれる、9mもある大溝に取り囲まれていた。その痕跡は、吉原公園の裏手近くに残っている。

吉原公園内から吉原を見る
他の場所にも、吉原の方面との段差を感じる場所が残っていると聞くが、見つけるのは困難なほど、昔の堀の姿は無い。堀を渡る際に使った跳ね橋と言われる橋の絵は、樋口一葉記念館で見ることが出来るそうなので、気になる方はぜひ。