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- 女ひとり。軍艦島へ、いざ行かん。【ぶらり写メ旅 1日目】 - 5月 17, 2020
「この写真、何だっけ……」
旅先で、スマートフォンでバシャバシャと写メるものの、整理整頓が苦手なわたしの写真フォルダは混沌を極めている。
いざ、写真フォルダを整理するぞーと意気込んでも、思い出に浸りはじめ、結局そのまま。
ほら、大掃除をはじめても、アルバムなんかが出てきた日にゃ、思い出に浸りがちじゃないですか、あれです。
だけど、せっかくなのでそんな混沌フォルダ内から、毎回1枚の写メを発掘し、撮影時の記憶を呼びおこして、改めて旅してみようと思う。
え? 写メって死語なの?
本日の1枚は「軍艦島」
「去年のゴールデンウィークって何してたっけ……?」
2020年のゴールデンウィークは残念ながらお家にいなくちゃ! という方が多かったことでしょう(さまざまな前線でお仕事だったみなさまに全力で感謝)。
多分に漏れず、わたしもSTAY HOME。去年の今頃に想いを馳せながら、ごろごろしながらスマフォをいじります。
そうだ、去年の今頃は、長崎にひとり旅していたんだ。
呼び起こされた記憶とともに発掘された写真はこれ。
そう! 軍艦島こと端島。
正式な名前は端島(はしま)で、長崎港から約19キロにある小さな半人工島。その外観が軍艦「土佐」に似ていることから、大正時代から軍艦島の愛称で親しまれるようになった。
かつては炭鉱の町として栄え、隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきたが、昭和49年に閉山し無人島となる。2015年には世界文化遺産に登録されている。
この時、長崎に行くことが人生初だったわたしは、長崎に行くなら「軍艦島に行きたいのじゃー」と張り切って計画を立てた。
何故かって? テレビや雑誌、はたまた写真家さんの作品など、さまざまななところで目にする軍艦島の廃墟としての美しさに心奪われていたから。

『Hashima』(松江泰治/ 月曜社/2017年)
一番のトリガーは写真家・松江泰治さんの『Hashima』(2017年、月曜社)だった。
島が廃坑になった9年後の1983年に松江さんが撮った軍艦島の写真160枚で構成されている。
撮影時から30年以上も経て、はじめてプリントをして制作したという写真集。
この写真集は、松江さんの個性やセンスよりも、写真を通じて、この世界を収集しよう、把握しようとひたすらシャッターを切った高揚が伝わってきた。
そして、かつて軍艦島で暮らしていた人々の残像やノスタルジーではなく、朽ちて役割を失っていく建物が醸す廃墟としての美しさを一番に感じた。
一体、この島はどんなところなのだろうか。軍艦島に行ってみたい。
まずは良い天候を祈るべし
軍艦島に行くには必ずツアーに参加しなくてはいけない。
いくつかあるツアー会社の中から、ピンときたところに早速申し込む。あとは、当日を待つのみ……。
が!!! しかし!!!
わたしが予約した日の長崎はずっと雨の予報。
だめ、雨はだめー!!!
なぜ、そこまで雨が嫌なのかというと……。
せっかくの旅だから快晴であることに越したことはないのだけれど、
軍艦島へは、
1.風速が秒速5メートルを超えるとき
2.波高が0.5メートルを超えるとき
3.視程が500メートル以下のとき
には、上陸が許されていないのです!
長崎市条例によって、自然条件・安全基準がそろわないと上陸してはいけないことになっている。
この安全基準をクリアする日数は1年に約100日程度と想定されている。
365日中の100日?!
確かに、「軍艦島 上陸」でググると、「上陸できなかったー、無念」という声がたくさん聞こえてくる。
上陸できたらラッキー!! くらいに思っておくことが、上陸ができなかった時のダメージが少なくてすみそう……。
雨が降ったら上陸ができないわけではないが、海が荒れる可能性は非常に高まる。
だから、「長崎は今日も雨だった」になりませんようにと祈るばかりなのだ。
岩崎弥太郎像が迎える高島へ
ちゅんちゅん。
鳥の鳴き声とともに、朝を迎える。
朝ごはんのバナナをかじりながら、恐る恐るカーテンをあけて外を見てみると、なんと、そこには太陽が! 晴れているではありませんか!
おやおや、これはもしかしたら、もしかするかも! と、ちょっと上陸への期待が膨らんだ。
ハイヒール、ピンヒール、サンダル、草履では、上陸できないとのことなので、動きやすい服装、履きなれたスニーカーでホテルを後にした。
午前9時10分
定刻通りに船は長崎港元船桟橋を出発。
乗船したのは30名弱くらい。わたしと同じく、女ひとり旅の方もちらほら。国外からの団体さんも。
さあ、われわれは無事に軍艦島に上陸できるのか!! 同志と一緒に軍艦島を目指します(勝手に心の中で、同志にしてました)!
わたしが参加したツアーでは、道中、世界文化遺産(明治日本の産業革命遺産)登録をされた数々の施設を説明付きで、
三菱長崎造船所第三船渠
三菱長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン
三菱長崎造船所旧木型場
三菱長崎造船所占勝閣
などなど、スリーダイヤが輝く遺産たちを船の中から堪能。
あ、明治日本の産業革命遺産って聞きなれないですよね……。
19世紀後半から20世紀初頭の日本において、西洋から非西洋への産業化の移転が成功したことを示す一連の産業遺産群で、九州、山口県を中心に広範囲に広がる23の構成資産からなる。封建制度下の日本が欧米からの技術移転を模索し導入した技術を、国内の需要や伝統に適合するよう改良し、日本が短期間で世界有数の産業国家になった過程を物語る。製鉄・鉄鋼、造船、石炭、という基幹産業からなる技術の集合体は、非西洋国家で初めて産業国家化に成功した世界史上特筆すべき業績を証明している(出典:日本ユネスコ協会連盟WEB)
旧グラバー住宅もその1つ。
ツアーは軍艦島に行く前に、高島に上陸。こちらも軍艦島とともに明治日本の産業革命遺産に登録されている炭鉱島。
高島にはスムースに上陸することができた! これは、やっぱり、もしかすると! と、軍艦島上陸の期待はさらに高まる。
高島では、高島石炭資料館に立ち寄り、炭坑に関する知識をつけ、軍艦島に上陸する姿勢を整える。
軍艦島の廃墟感が好き!というミーハーな気持ちで来てしまったわたし。自分が今、行こうとしている島の意味を改めて知り、すっと背筋が伸びた。
ちなみに、軍艦島にお手洗い、そして売店は無論、自動販売機もないので、ご用の方は、高島で済ませましょう。

高島には三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎の像が立っている
見えてきたは、軍艦島。
ふたたび船に乗り込み、軍艦島へ、いざ行かん。
高島から7分ほどすると……
見えてきました!!!!
軍艦島です。
か、かっこいい……。
遠く小さく見える、その島は、本当に軍艦のように見える。
ついにやって来た……。
軍艦島に近づくほど船の揺れが激しくなってきた。
ぐあんぐあん。
それとともに、心臓も高鳴る。
どきどきどき。
すぐに上陸したくて仕方ないけれど、各船の上陸時間がきちんと定められているらしく、定時になるまで島を周遊。
上陸して立ち入れるのは、わずか220メートルの決められた見学道のみで、そこから目視できるのは鉱場の一部。
周遊することで上陸時には見ることができない、島民の生活区画を目にすることができた。
そうだ! 写メ! 写メ! と頑張って撮ったのが、本日の1枚。船がすごく揺れるから、なかなか、うまく撮れないし、遠くからみても圧巻なその姿に、写メることを忘れて見入ってしまったから、全体像は、結局、この「本日の1枚」しか撮れていない。
ぐあんぐあん。
相変わらず船が揺れる。
いくら晴れているからといって、乙女心のように、海模様は読めなさそうだ。
定時になり、桟橋に船が近づく。
あんなにはしゃいでた自分の心が、急に緊張しはじめた。
防波堤も何もなく、接岸するのは、かなり難しいらしい。
何度か、微調整を重ねて……船と桟橋が見事ドッキング。
「みなさん、上陸できますよ!」
上陸ができる!!
待ちに待った上陸。
いざ、島に足を踏み入れると、ぞくぞくっと全身に鳥肌が立った。
これが……軍艦島か……。
長崎市の規定により、上陸時間は1時間のみ。
見学道を同志たちと進む。途中3箇所に広場が設けられていて、つどつどガイドさんが説明をしてくれる。
軍艦島は、元々は真ん中のでっかい岩の部分のみだったらしけど、石炭を掘った時に出てくるボタと呼ばれるくずで、島を拡張していったんだって。
島には一番多い時で5000を超える人が生活をしていて、保育園、小学校、神社に屋上庭園、映画館、そして端島銀座と呼ばれていた繁華街もあり、生活に必要なもの、さらには娯楽もある! なんでも揃った島だった。
しかし、軍艦島には川も池もないし湧き水もないから対岸から水を定期的に運んでいたとのこと。最後まで水の調達に苦労を強いられたという。
もうひとつ、軍艦島になかったのは、火葬場とお墓。火葬をする際は、隣の中ノ島の火葬場を使用していた。中ノ島も炭鉱島だったけど、早々に閉山し、その後は、軍艦島にない機能を補う島となり、
桜が植えられ、軍艦島の人々がお花見をしたり、レジャーをするための場所としても利用していたんだって。
こんな知識を蓄えながら、先へ先へと進んでいく。
5月の日差しがギャンギャン照りつける。
日陰はほぼないから、熱中症には注意しないと。
ぜひ、来島の際は十分な水分補給と、服装にも気をつけましょうね。
日傘は禁止されているので帽子推奨です。ちなみに、雨傘も同様に禁止。
それっもこれも軍艦島と、上陸するみなさんを守るため。ルールを守って、島内を楽しみましょう。
写メは復路で撮りましょう
往路での写真撮影は禁止され、復路でのみ許された。
松江さんが軍艦島を撮影されてから35年以上経ち、老朽化は如実に進んでいることがわかった。
そして、わたしも無心に写メを撮り続けた。素人目には、もともとどのような機能を持っていたのかわからない残骸たちだが、ガイドさんの説明も相まって、端々にこの島で働いていた人々、そのご家族の気配を感じずにはいられなかった。
右奥に見えるこの階段は、仕事帰りのみなさまがお風呂に向かうための道。
だから石炭で真っ黒に染まっているの。
「命の階段」そう呼ばれている。
軍艦島は畏怖の対象だった
あっという間に1時間が過ぎた。
帰りはなんだかみんな無口だった。
廃坑したその日から時が止まっている?
いや、止まっているけど、確実に時は進んでいる。
かつての日本の近代化を支えた島が、まさに自然にのみ込まれようとしていう光景は、この星の未来を見ているような気持ちにさえなった。
結果、無事に上陸できて、感動しきりだったが、
「軍艦島に行きたいんじゃーーー」というテンションから一変、長崎港に戻ってきたときにはすっかりしんみりしていた、わたし。
正直に、遠目から見た軍艦島はかっこよかったし、廃墟の美しさも感じたが、それ以上に、わたしは緊張と畏怖の念を強く感じた。
長崎港に戻ってきたのは12:30。
胃袋は正直者で、お腹が空いたと訴えかけてくる。
軍艦島上陸の緊張から解放されたこともあるだろう。
ここはやっぱりちゃんぽんですかね!
軍艦島を背に、中華街に向かった。
追伸
しっかり、ちゃんぽんの写真も撮っていた。

長崎新地中華街「王鶴」さんのちゃんぽん。美味でした。