吉原についての記事の第二弾。前回の記事では、江戸時代最大の花街として知られた吉原の現在の姿に迫った。かつての花街は日本最大の風俗街として今もなお、繁栄している。
実は、前回は休日ということもあってか人気が多く、じっくりと回れなかったので、また後日改めて赤線跡も含めて散策することに。今回の記事では、繁華街から少し離れた赤線跡を中心に紹介する。
遊郭から赤線までの遷移
吉原は遊郭街として栄えたのち、敗戦後には政府が公認した売春地帯である赤線として変貌。その後、1957年に売春防止法が施工され、現在のようなソープランドが広がる街になったと言われている。
アパートなどに転業した建物もあれば、新しい住宅として当時の姿が全く残っていない通りもあり、面影は薄れてきているのが現状。東京オリンピックも開催される中、いつまで残ることができるのか、見守っていきたい。
カフェ―建築・転業アパートと思われる建物
戦後に誕生した特殊喫茶の建築をカフェ―建築などと言うが、吉原にもカフェ―建築に見られる特徴を発見することができる。
伏見通りに入った通りに出現するのが旧屋号「プリンセス」。
吉原のカフェ―建築として代表的な建物として語られており、現在はアパートに転業している。角にどっしりと構えた曲線のアーチがとても美しい。
広角レンズで撮影したところ、全体像が浮かび上がってきた。写真で見るよりも迫力がある。必見。
プリンセスの隣に、ポストの配列が特徴的な旧屋号「モリヤ」の建物が存在していたが、ちょうど解体作業が終わり、更地になっていた。
私もモリヤを目当てに訪ねたが、何回も地図を合わせても見つからず、更地だとわかった時はショックを隠せなかった。またひとつ、貴重な遺構が消えてしまった。令和2年3月31日に4階建ての建物を竣工する予定だそうだ。
その近くに「喫茶リゲイン24」と書かれた喫茶店の廃墟を発見。赤線とは関係があるかは不明。
同じ通りに、いくつか転業アパートとして潜めているカフェ―建築が多数あるらしいが、見逃してしまったので、もう一度訪ねたい。既に新しい一軒家が多く見られたので、解体されてしまったのか、そうでないにしても周りに注意しながら散策することが必要。
伏見通り沿いではなく、角町通りの裏道にある、壁一面黄色味かかった建物の旧屋号「ゆうらく」。
側面がハート形の建物として有名であるが、うっすらと残ったピンク色が当時の雰囲気を伝えている。
同じ通りには似たような建物が多く残っていた。