日本語の混ざった台湾語。「宜蘭クレオール」から聞こえる台湾の歴史

投稿日:5月 11, 2020 更新日:

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連載:かぺりっとの台湾への道しるべ

私が宜蘭クレオールに出会ったのは大学3年生の頃だった。

台湾へ目覚めてから2年ほどが経ち、歴史や文化・言語の面でやや詳しくなっていたつもりだった。しかし、台湾にはまだまだ私の知らないディープな一面があったのだ。

台湾_宜蘭

「そもそも台湾って何語?」とはよく聞かれる質問だ。

そんなとき私は一応「若い人たちは普段は中国語で話すし、学校も中国語で授業をしているよ。ただ、台湾語っていうものが別にあるんだよ」と答えている。

厳密にいえば原住民の言葉や客家語など台湾ではたくさんの言葉が話されている。その中でも私が面白いと思った、日本語とアタヤル語の接触言語である「宜蘭クレオール」について少し書いてみようと思う。

 

日本統治時代について

台湾_北東部

台湾は1895年4月17日、日清講和条約締結により清国から日本へ割譲された。その後1945年まで半世紀の間日本に統治された歴史を持っている。

その間台湾人を統治する手段のひとつとして「国語」(日本語)普及政策が推し進められていった。その結果として、現在の台湾の高齢層の会話では、今なお日本語がリンガフランカ(共通語)として用いられており、日本語には歴史的・社会的状況が反映されている。宜蘭クレオールについても同様のことがいえるだろう。

1913年頃から、日本の統治政策の一環としてアタヤル族とセデック族が移住を強いられ、共同生活が始まり、元々別の言語を話していたふたつの部族の人たちは意思疎通を図るために日本語を用いた。それを簡略化させたものがこの宜蘭クレオールにつながるものなのではないかと言われている。

クレオールとは何か

台湾_山岳

宜蘭は台湾北東部にある場所の名前だが、「クレオール」とは何か。

先ず、異なる言語をもつ人たちが意思疎通や社会的な利便性を求めて、自分の母語(現地語)と、母語とは別の言語(台湾では日本語)を混ぜて話したことばピジン言語という。

そして、そのピジン言語を話すひとたちの子どもなど、第二世代がそれを母語として話す言語クレオール言語である。

よってクレオール世代とピジン世代は、それぞれ違った心情が言語から読み取れるのではないだろうか。

植民地統治を経験した国では、言語の面での影響もかなりみられる。台湾の宜蘭クレオールについても例外ではなく、歴史を現在に伝えるひとつの側面として非常に価値が高い。

言葉と心

宜蘭クレオールを話す人々の中には、直接の日本語教育を受けていない人も多い。

なぜなら先ほど述べた通り、台湾では、ピジン言語を話す人たちの次の世代の母語をクレオール言語というため、宜蘭クレオールを両親から自然な形で習ったという人、近くに住む別の部族の人とのコミュニケーションのために習得したという人がいるからだ。

ピジン言語を話した親世代は、日本統治時代に思いを馳せながら、その記憶を第二世代へ言語という形を通じて継承していったのだろう。

台湾で聞こえる言葉に耳を澄ませて

台湾_夜

「台湾のお年寄りは日本語を話せる」

ある程度の台湾好きなら、だれでも知っていることだろう。しかし、台湾の言語事情はそこまでシンプルではない。

台湾南部へ足を延ばせば台湾語が日常的に話されている。そしてさらにローカルな地域へ行くと、原住民の言語が聞こえる。それだけでなく、よくよく耳を澄ませば、中国語でもない・原住民の言語でもない・日本語でもない言葉が聞こえてくる。「宜蘭クレオール」のような特別な言葉を使って、コミュニケーションを取る人々がいるのだ。その言語の背景には、日本統治時代の国語教育や移住政策がある。個人的にはそういった背景を少しでも理解してから台湾旅行にいってほしい。

もしも駅などで日本語で話しかけてくれたおじいさん、もしくはおばあさんがいたとしたら、その人の胸のうちを想像してみると台湾の奥深さに気づく瞬間があるかもしれない。

戦後の国民党政権の言語政策により、日本統治時代の国語教育は姿を消し去られたかのように思われたが、いまなお台湾の言語空間の中でその存在を示し続けている。

台湾の面白さはこういった特別な言語体系にあると感じる。

<TEXT/かぺりっと>

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